トルコについて

国名:トルコ共和国
首都:アンカラ
面積:日本の2倍強
人口:7000万人(2005年)+xx万人(ジプシー)
民族:トルコ人、クルド人など(トルコ:クルドは4:1)
宗教:イスラム99%
国民総生産:日本の10%以下
軍需費:国家予算の3.3%、約100億ドル(60万人の兵隊)
通貨:新トルコリラYTL(インフレが激しい、空港、高級ホテルではユーロを使っている)



「トルコの歴史」 セルジューク朝から

セルジューク朝
トルコ人は本来中央アジア出身の遊牧騎馬民族で、9世紀にはイスラム教徒になっていた。彼らがセルジューク族の指導者ト
グリルのもとで、最初の「カリフ座」の置かれたバクダートを占領し、カリフ(マホメットの後継者)の称号を受けて、イスラム世界の支配者となる。さらに小アジアにも進出し、東ローマ帝国と対峙し、十字軍との戦いを繰り広げた。首都をコンヤにおいた。このセルジューク朝は14世紀初頭まで続くが、異教徒モンゴル族の遊牧民によって弱体化され、以後地方の支配者達はそれぞれ自分達の君侯国を開拓していくようになる。

オスマントルコ帝国
セルジューク朝に属していたオスマントルコ族のオスマン1世が1299年小アジアに建設したイスラム国家。1453年に東ローマ帝国を倒し、コンスタンチノーブルをイスタンブールと改名して遷都した。16世紀に最盛期を迎えて、3大陸にまたがる大帝国を築いた。ヨーロッパキリスト教世界を震撼させた。その後、バルカン半島の諸民族の独立運動とそれに対する列強の介入やロシアの南下政策などで領土は縮小し、産業革命にも西欧の後塵を拝し、対外債務の増大や国民経済の窮乏化など国力は疲弊して行った。
第一次世界大戦後のパリ講和会議ではオスマン帝国にはセーブル条約が戦勝国から押し付けられた。これは帝国の領土の西をギリシアに東をアルメニアに、さらに南東部をクルド人に割譲し、さらに首都イスタンブールを国際管理下におくものであった


トルコ共和国
オスマントルコの軍人のムスタファ ケマルはクーデータを起こし、オスマントルコ皇帝を仏国に追い出し、連合国進駐軍をトルコから追い出した。1923年にローザンヌ条約が集結し、1923年10月29日にトルコ共和国が成立した。ムスタファ ケマルは初代大統領となり、各種の改革を行った。


ムスタファ ケマルの行った改革
1.首都をアンカラに移した。
2.政教分離(モスクを建てるのに政府は1銭もお金を出さない)。カリフ制の廃止。学校での女性のベールの禁止。トルコ帽の禁止、一夫一婦制、婦人参政権、姓の取得など。
3.近代ヨーロッパ法の採用。トルコ語のローマ字表記(アラビア文字から)。メートル法、太陽暦の採用。日曜日の休日指定など。





ガイドのIlker BALKERさんの話


1) カリフ(イスラム最高責任者)は残しておけばよかった。イスラムの法典であるコーランの記述はとても曖昧であるので、カリフが解釈する。例えば、メッカの方向を決めるとか、ワインは飲んではいけないが、ビールは飲んでいいとか。カリフを持っていれば、イラン、イラクなどのイスラム国家に命令できた。

2) 文字をローマ字表記にしたので、アラビア文字で書いてある古い書物を読める人がいなくなった。

3)車の価格:カローラで300万円くらいする。税金が80%を占める(世界一高い)。ガソリン価格は240円/ℓ (世界一高い)。トルコにも油田はあるが、苦しい時代に発掘の権利をshell(シェル)やBBに売ってしまった。
イランは、かつて日本と仲がよかった。イランで日本の企業がタイルを作っていた。イランは1975年に国のシステムを変えた。「これからは、イランのシステムに合わせます。外国人は2週間以内に国外に退去して欲しい。これに違反したら牢屋に入れる」といった。企業は設備をそのまま置いて日本に帰った。今もその工場ではタイルが作られている。トルコは約束を破らない。

4)オリーヴ:ヨーロッパのオリーヴの50%はトルコで採れる。オリーヴの木は政府が管理していて、自分の庭のオリーヴの木でも許可無く切り倒すことは出来ない。オリーヴノ葉は1年中炭酸ガスを吸収し酸素を放出し、家畜の餌にもなるから。ほとんどを自国で消費する。

5) 湾岸戦争のとき、米国、英国、仏国、伊国、日本はトルコに参加を依頼した。参加したらお金を寄付すると言った。トルコはお金が欲しくて参加したが、戦争終了後、お金を払ったのは日本だけだった。トルコ人はみんな怒った。新聞は書きたてた。

6) トルコは露国と仲が悪い。第1次世界大戦で日本が露国を破ったことで、日本を尊敬している。トルコは露国とクリミヤ戦争で争った。トルコは喧嘩、戦争の好きな国である。

7) トルコが一番嫌いな国はギリシャである。ギリシャ人が嫌いではない。国が嫌いなのだ。文化、食べ物、踊りはとても似ている。ギリシャはオスマン時代の最盛期はオスマントルコの領土だった。19世紀初頭のギリシャの氾濫が帝国崩壊の始まりだった。第一次世界大戦でトルコがドイツ側に付いて敗れたとき、ギリシャ軍は真っ先にエーゲ海の美しい町イズミルを占領し、略奪、虐殺を極めこの町は廃墟と化した。今でも、ギリシャはエーゲ海を自分の海だとっている。ギリシャは、「トルコはアジアから来て、私達の国を取った」と言う。キプロスでは今でももめている。

8) 給料。公務員の月収は10万円くらいと一番安い。4人家族で3万円を食費に使う。消費税は18%。但し、水とパンなど生活必需品は2~5%。一般人の月収は15~20万くらい。

9) トルコは国土の3%がヨーロッパに97%がアジアにある。トルコはEU加盟を希望したが否決された。トルコが入るとドイツの次に人口の多いトルコの発言権が増す。イスラムを入れたくない。現在、EUに入りたい人は20%に減った。イスラムがトルコの発展の障害になっている。

10) トルコはサッカーが盛んである。サッカーは場所とボールがあれば出来る、後進国向きのスポーツである。日韓ワールドカップでは堂堂3位に輝いた。ここで、トルコは何故か強豪揃いのヨーロッパのグループに入れられる。アジアにいれば楽に代表になれるのに。

11) トルコのテレビでなにやら盛んに事件を報道していた。2007年1月19日イスタンブールでアルメニアの記者が銃撃された。記者はオスマン帝国時代のアルメニア人大量殺害に関する発言で、民族主義者から強い反発を受けていた。現在、トルコと隣国アルメニアの国境は鉄条網が張られている。緊急患者用に一つの入口が設けられているのみである。
(フランスには40万人のアルメニア移民がいる。フランスの虐殺否定処罰法案は野党である社会党が提案した。シラク大統領がこれを無視できないのは、選挙を控えた今、40万の有権者と国民全体の世論を無視できないからである。トルコのEU加盟はますます遠い未来の話になりそう。)

12) トルコの周りに安全な国は無い。今60万人の兵がいる。前述のアルメニアはもとより、ロシアとの関係も悪く、ギリシャとも悪い。イランのスパイがいて、トルコをのシステムをイラン風に変えようとしている。一部のクルド人がクリジスタンという国を作りたいとテロを起こしている。トルコは5人に1人がクルド人である。クルド人問題はとても複雑です。

13)トルコの国会には470人の議員がいる。このうち60人が女性である。給料は1ヶ月60万円と高い。議員は特別に守られていて、事故を起こしても裁判されない。

14) トルコと中国の間には久しく問題は無かったが、近年中国の安いコットンがヨーロッパに入ってきて、農業国のトルコは困っている。

15)人気の仕事は女性は先生、銀行員で、男性は医者、弁護士。ツアーのガイドはエリートである。

16)学校での外国語について、中学から外国語を学ぶ。80%が英語で、仏、伊、独、日本語。日本語は8年前に入った。ガイドさんの父親の時代は仏語が80%、母親の時代は独語、自分の時代は英語だった。ボスポラス大橋を日本が作ったときから日本語が加わった。

17)30年間死刑にされた人はいないが8年前までは死刑があった。EUに入ろうと死刑をなくした。

18)トルコにはたくさんの日本の工場がある。日本の会社で働いていることは、トルコ人にとってステイタスである。採用条件が厳しい。ジャパンたばこ、ブリジストン、トヨタ、ホンダなど。

19)トルコでは日本のBSが見られないホテルが多かった。ガイドさんが新聞に載った日本のニュースを知らせてくれた。今日の新聞に「安倍首相が、日本では先生が教室で暴力を振るってもいいとを決めた」という見出しが載っていたとか。

20)
31歳のガイドさんは、これまで2度日本に来たことがある。北海道を除いた全国を旅行した。日本に来て最初に驚いたのは、電車に乗った時だった。みんな一言もしゃべらずに下を向いている。きっと、とても悲しいことがあたのだろう、と思った。トルコでは、電車に乗るとすぐに周りの人に「どこに住んでいる、家族は何人、どんな仕事をしている」と話しかけ、降りるときにはみんな友達になっている。
 ガイドさんの父親はアンカラ大学で日本語を学び、日本のブリジストンの会社に就職した。会社では日本人の責任者とトルコ人の社員の通訳しをしていた。責任者はお昼休みは1時間と決める。トルコ社員は1時間半を要求する。トルコ社員は仕事をしないで雑談ばかりする。責任者ば仕事に集中するように言う。
 ガイドさんは日本語を父親に学んだ。父親はいつも日本語で語りかけた。日本語が話せれば生きていける。日本をとても尊敬している。

21) トルコのお見合い。石灰棚のあるバムッツカレにバスで向かう途中、煙突の上に瓶が置かれている家があった。この地方では、結婚適齢期の娘がいると、このように煙突の上に瓶を置く。鉄砲でこの瓶を打ち落とした男性にお見合いの権利が与えられる。権利を得た男性は両親を伴ってこの家を訪れる。娘の両親としばらく雑談をしてから、「息子がお宅の娘さん気に入っているが許してくれ」ときりだす。「娘に聞いてみよう」と答える。しばらくして、娘はトルココーヒーをもって現れる。泡のあるコーヒーだったらYES、泡の無いコーヒーだったらNO。婚約期間は1年間。トルコには兵役があるので、瓶を打ち落とす技術はある。銃の所有は禁止されているが、持っている人が多い。今は、お見合いと恋愛が50-50.結構ウも離婚も減った。法律が変わって離婚したら夫の財産の半分を元妻に渡す。

22)四大文明発祥地のチグリス・ユーフラテス川の上流はトルコにある。トルコがここにダムを作ったので、下流のシリアに水が行かなくなって、彼らは怒っている。この水はトルコで出来た水なので、トルコのものである。(?)

23)トルコと麻薬の関係。世界の麻薬はトルコを経由して世界に行っている。

24)ジプシーの問題が悩み。街の中で洗濯したり、洗濯物を干したりするので、不潔である。ジプシーは身分証明書を持たず、国の人口に入っていない。会社はジプシーを断り、ジプシーも決まった時間に働きたくない。羊飼いをしたり、絵葉書を売って生活している。


ガイドさんの話ではないが、
X) イラン・イラク戦争で開戦前夜に、テヘラン空港に取り残された日本人約200名がいた。既に戦火の色濃く、上空を飛行する機が民間、軍用をとわず打ち落といううわさが流れていた。各国の国民はそれぞれの国のチャーター機で、無事脱出した。だれも自国民以外の事など気にかけてくれない。当時 日本には政府専用機も無く、自衛隊の輸送機も後続距離が足りない。打診された日本航空は、安全が保証されていないと拒否した。
  ここで、助けてくれたのがトルコ政府とトルコ航空の乗務員たちだった。なぜ外国人の為にそこまでするのと言う問いに、彼らはこう答えた。「トルコ人で、95年前に座礁したエルトゥール号の恩義を知らないものは誰もいない。救助された69名の乗務員を貧しい農村にも関わらず、自分たちの食べ物を削ってまで、トルコ人に与えてくれた」トルコの教科書には載っているとか。
 サッカーの日本対トルコ戦の時に聞かれた人もいると思う。すばらしい事ではないか。それに比べて日本は、トルコについてどれだけ教えられているのだろうか。




トルコの軍事費
先祖はモンゴル高原の突厥という騎馬民族であり、始皇帝から始まる皇帝達らに万里の長城を作らせ、9世紀後半には中央アジアに移動、11世紀にはセルジーク朝を開きバクダート入城してスルタン(イスラムの最高指揮者)の称号を受けて、イスラム世界の実質的な支配者になり、さらに小アジアにも進出して、東ローマ帝国と対峙し、200年に及ぶ十字軍との戦いを繰り広げ、1299年にはオスマントルコ帝国を建国し、最盛期には西はウイーンから東はペルシャに至り、北のロシアから南の北アフリカに至る広大な領域にまたがる地域を支配した。しかし、その後は衰退して領土を失い瀕死の重病人といわれた。
第1次世界大戦はドイツについて破れ、
パリ講和会議でオスマン帝国にはセーブル条約が戦勝国から押し付けられた。これは帝国の領土の西をギリシアに、東をアルメニアに、さらに南東部をクルド人に割譲し、さらに首都イスタンブールを国際管理下におくものであった
軍人のケマル・パシャは真っ先にイズミールにを占領したギリシャを追い出し、独立を成功させた。今トルコにいる、かれらの子孫達(長い年月で、アラブ人、クルド人、ヨーロッパ人などと混血している)は、戦争に対するアレルギーをほとんど持っていない印象を受けた。
ガイドのイケールさんは「トルコの軍事費は60%です。危険な国に囲まれているので、国を守るのに仕方が無いのです。トルコ人は家族よりも国を守ります」といっていた。軍事費は60%はわたしにとって驚きで理解しがたいものであった。帰ってきてからネットで調べたら「トルコの軍事費は国家予算の3.3%であるが、国民は軍事費に莫大な費用を使っていると思っている」と書いてあった。ガイドさんの話を鵜呑みにしてはいけない、と思った。

感想
島国の日本の歴史は彼らに比べてなんと平和だったのだろうか。憲法9条をもつ、海に囲まれた日本がどうしてアメリカに次ぐ莫大な軍事費を必要とするのだろうか。2002年の資料で少し古いが、トルコの軍事費はトルコの国力に対しては多いようだ。トルコの周りにはトルコと仲のよい国はない。日本にとって危険な国と言われている北朝鮮の軍事費が日本の3%強にすぎない。この表から見ると、一番危険な国はアメリカで、次が日本かな。